過去の人々

以前から記憶力が普通の人々よりも劣ってる気がすると思ってた。

 こうなったら、その普通の人々よりも、がんばらねばならないと思うようになったのだが、記憶力が劣ってると他の人々よりも感動が少ないのかもしれないが、過去に会った人々とのちょっとした出会いを思い出すと感動できるようになると同時に感謝感激し、他の人々とは違う感動ができるようになってるのかもしれない。

 人と積極的に接するのを避けてる。

 人と積極的に接すると、そのまま、その人に依存し甘えてしまうのだ。そうしたら、ますます過去の人々が懐かしく思い出せるようになり日々が楽しくなってきたし、以前から友達だった人々の交流が更に楽しくなったし、じっくりと楽しめるようになったし、逆に友達の数が増えた気がする。そして、その友達の数だが、やはり健全な努力をすると増える。つまり、その健全な努力を認めてもらえて、それを賞賛してもらえて、そこから友達の数が増えるのだから、記憶力は悪いが、更にがんばる為の起爆剤になる。

 以前から一か月に1~2回ほど2時間弱のボランティアをしてる。

 その回数が多いので賞賛してもらえて、そこで働いてる人と、ボランティア場所近くでちょっとした雑談をしたのだが、ほんとうに楽しかった。
 
 巷で複数の人々が仲良さそうにしてるのを、よく見かけるが、その人々はきっと何らかの努力をしてるからこそ楽しそうに過すことができるのであろうから明日以降一週間は更にがんばらねばならないのだ。その努力たるや、ちょっとした努力でいいのかもしれないのだ。何しろ、近所の大きな公園で気分転換も兼ねて過ごしただけでも人と会えたこともある。

 そこでの人と出会いが懐かしくて昨日も、そこへ行ったが会えないのは残念だったが、そこに基礎英語のテキストを持って行き、それを眺める努力、そしてウォーキングをする努力をしたので、いつか、それらの努力が実り友達が増える筈だが、これらの努力を十代前半から心がけてれば、今頃もっと別な人生があったはずだが過去のことを今さら何か言ってもムダであるが、ここだからいいのだ。この日記を読んでくださる人がいるか否かわからないが、感動したことだ。

 ちょっとした女性との出会いも楽しい。

 某所へ行くと外国人売春婦に会えるかもしれないのだ。

 その国に興味があるので、そこへ行ってみようかな・・・・・・最も売春婦が客=バカと思ってるのは常識だが、それを克服するにも、やはり努力だが、それと同時にダイエットしなきゃ・・・・・最近、太った・・・・・